大人が子供に「天職に就ける人は一部の人」なんて言ったらダメだろ

公開日:  最終更新日:2020/02/18

仕事に悩んでいる人はこの世にたくさんいるでしょう。ヤフー知恵袋とかツイッターとか見てると「辞めたい」とか「天職したい」という言葉が書かれて多くの人が悩んでいることが分かります。この悩みに対する答えで多いのが「天職に就ける人は一部の人だけで多くの人が嫌な仕事をしている。」という回答です。

納得です。確かに私の身近で今の仕事が天職だというような雰囲気のある人はいません。むしろ辛い表情をしながらも毎日出社しています。就職して社会人になって6年目ですが転職したいと思ったことは何回もありましたが勇気が無く今の職場で働いています。

転職したからって必ず天職に就けるわけではありません。むしろ今より状況が悪くなる可能性だってあります。これは持論ですが天職に就ける人は誰よりも努力をした人かリスクを覚悟で行動した人のどちらかだと思います。

天職に就ける人は一部の人だけというのは認めますが、大人が子供に「天職に就けるのは一部の人だよ」なんて夢を壊すようなこと言ったらいけないと思うんですよね。っという思いから私の意見を書かせて頂きます。

親子の会話
photo credit: kjd via photopin cc

就職先を決める時にどんな仕事があるか分かっていない

私は高校を卒業して就職をしました。就職先の企業を選ぶ時に商業高校だったのでIT系企業を選びました。そして6年経過した今も働いています。私のような人間はよくある失敗例です。結果毎日帰りが遅く家族に迷惑をかけて自分は何のために働いているのか分からなくなっています。

多くの人が高校卒業後か大学卒業後に就職先を決めますがこの選択肢は人生を大きく左右することだと分かっていない人が多いんです。私は高校生の時に就職先を決めましたが軽率な判断で決めたため今を苦しんでいます。当時先生に「どんな仕事に就きたいんだ。何か見せてみろ。」と言われたのを覚えています。

私はネットで職業図鑑みたいなページを探しシステムエンジニアのページを印刷して提出しました。システムエンジニアがどんな職業で将来の需要はあるのか?家族に迷惑をかけない仕事なのか?本気で調べて決めた就職先ではなく目の前にあった選択肢から一つ選んだだけでした。

天職に就けない理由は就職先を決める時にしっかり考えていないからです。自分の天職は何なのか考え考え考え抜いて就職先は決めるべきです。それでも苦しむようなら転職すれば良い。私はしっかり考えなかったので天職に就くという土台も安定しないまま社会に出てしまいました。皆さんは私のような失敗例にならないためにも良く考えて就職先を決めて下さい。

じゃあ、天職って何なの?

自分にとって天職とは何かを考える時に、「好きなことを仕事にする」の意味をはき違えると大変なことになるは参考になる記事です。

私が思う天職は「辛くても楽しいと思える仕事」が天職だと思っています。仕事というものはお客様という人のために働くので基本的につまらないです。タクシーの運転手という仕事を考えてみて下さい。お客様のためにタクシーを運転しますが「自分で運転しろよ」と思う気持ちもあるかもしれません。不思議なことではありません、日常で自分でやれよと思うことは多々あります。

しかし「自分でやれよ」を変わりにやるからそこに仕事が生まれるのであって仕事をする時に自分でやれよという気持ちは捨てなければなりません。ですが人間は感情がありますので時には自分でやれよと思ってしまいます。だから基本的に仕事はつまらないんですよね、だって自分でやれよと思っていることをやってあげてるからです。

「これは私がやってあげるよ、だってこの作業をしている時は楽しいと思えるから」このような気持ちで取り組める仕事が天職だと思っています。

天職は好きな仕事ではなく苦にならない仕事だということを分かって頂きたいですね。

天職に就けるチャンスは皆ある

「天職に就ける人は一部の人」というのは誤りです。正しくは「一部の努力した人」または「一部の幸運な人」です。

大人は子供に天職に就くのはどんな人でどうすれば良いのか教えるべきです。間違っても「天職に就けるのは一部の人だから、夢ではなく現実を見なさい。」なんて言わないことです。大人が子供の夢や希望を壊してどうするんですか。そんなアドバイスするくらいなら子供に考えさせることをして下さい。

これは私がこれまでの経験から思うことですが成功する人や頭の良い人は凄く考えています。仕事にしても遊びにしても限られた時間を最大限活用するため考えています。こういう考える人と考えない人の違いは何でしょうか?

例えば前に書いた私が就職先を選んだお話ですが、私は選べる選択肢から最も良いと思う選択肢を選んだつもりです。しかし本当に選べる選択肢の中に正解と呼べる選択肢はあったのか?今考えてみれば無かったかもしれません。けど当時の私は疑うこともしませんでした。

考える人は選べる選択肢を前にして立ち止まり考えます。まず自分にとっての正解とは何か?そして正解に続く選択肢がこの中にあるのか?

そうです。「考えること」です。私は子供が生まれ成長したら「天職に就ける人は一部の人」とは言いません。「天職に就ける人は一部の人と言われているから、どうすれば天職に就けるか考えなさい。」と言います。



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