「結果が全て」という考え方は正しいのか?

公開日:  最終更新日:2017/07/13

どうも、世の中は結果が全てなのか!?で悩んでいる@tanesho42です。

子供の時であれば受験とか勉強で、大人の時であれば仕事で、「結果が全て」という言葉に直面したことありませんか?

私はありますよ!!!

頑張った、本当に一生懸命頑張ったのに結果が残せなかった・・・。頑張った過程を評価してくれる人もいれば、結果を評価して次はもっと頑張れという人もいます。

結果が全てなのか?

この疑問をずっと考えていましたが、自分の中で1つ方向性が見えたので書きます。

その結果に自分は満足なのか?

まず、結果が全て悩むということは結果を残せなかったわけですが、本当に結果を残せるくらい頑張りましたか?ってことです。

頑張ったつもりでは結果が残せず、結果が全てだと言われても仕方ないですよね。

でも、結果が残せると思えるくらい一生懸命頑張ったのに結果を残せなかった時に言われる「結果が全て」は辛いですよね。

結果が全てなのかどうかを決めるのは自分です。

人になんて言われようと、結果が全てなのかどうかを決めるのは自分です。

自分が結果を残せるくらい一生懸命頑張ったと思えるなら、それは「結果が全てだ」と言われても、「いやそんなことはない!自分は頑張った!」と結果が全てだという言葉を気にしないことです。

逆に結果が残せるくらい頑張っていないのなら、「結果が全てだ」という言葉は正しいので、受け止め考え直してみる必要はあります。

結果が残せず次は頑張った体験談

ここで私の体験談を1つ書きます。

私は高校生の時に、ある国家試験を受験しました。

1回目の受験が高校3年生の春でしたが、結果は不合格でした。

不合格という結果は残念でしたが、テスト後に自己採点しても合格している感触はなく、結果を残せるくらい頑張ったかというと違ったので、結果には納得していました。

2回目の受験は高校3年生の秋でしたが、結果は合格でした。

不合格だった1回目の受験から2回目の受験までの約半年間は凄く勉強しました。だから自信もありましたし結果的に合格でしました。

この国家試験を受験することで「結果が全てだ」と言われることはありませんでしたが、1回目と2回目の受験では明らかに頑張りが違いました。

1回目の受験は不合格でしたが、「結果が全てだ」と言われていたらその通りでした。逆に2回目の受験は結果合格しましたが、もし不合格で「結果が全てだ」と言われたら凹んだでしょうね。

でも、2回目の1回目の受験と比べて間違いなく頑張りました。だから結果が全てだと言われても、頑張った過程を自分は評価すればいいのです。

結果が全てか?決めるのは自分だ!

「結果が全てだ」と言う人はいます。自分だって何かに対して結果が全てだと言うことあります。

しかし、結果が全てかどうかを決めるのは周りの人ではなく自分です。

残念な気持ちの時ほど、結果だけではなく頑張った過程を評価してほしいと思うのは人として当然の心情です。

だから、「結果が全てだ」という言葉は厳しい言葉だと言われます。

「結果が全てだ、努力が足りん。」
「結果が全てだ、次は大丈夫だ。」

同じ結果が全てだでも意味は違います。

自分はどれほど頑張った故の結果なのか?人に言われることではなく、自分が自分に問いかけることです。

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