不登校を克服して学校へ行けるようになるまで(体験談)

公開日:  最終更新日:2018/02/11

私は小学生の時に「不登校」を2度経験しました。

学校の教室に行くのが怖くて長期間学校を休んだ時期もあれば、不登校の生徒が行くような特別教室に通っている時期もありました。

当時は子供だったので自分が不登校ということに凄く悩みましたが、大人になった今では凄く価値のある貴重な経験をしたと思うことができます。

きっと今この瞬間も、そしてこれから先も、不登校ということに悩む人はいるはずなので、私が不登校を経験して感じたことが誰かの役に立てばと思い書きます。

※かなり長文になっていますので気になる部分だけ読みたい方は目次を参考にして下さい。

私は小学生の時に不登校でした

学校

私が不登校だった時期は2回あって、小学生1年生と小学3年生の時です。

1年生の時は、夏休みが終わり2学期が始まる9月1日に学校へ行くことができずに、そのまま3月下旬頃まで不登校が続きました。

3年生の時は、1学期のある日に学校を休んだら次の日に学校へ行くのが怖くなり、そのまま1年生の時と同じく3月下旬まで不登校でした。

1年生の時は夏休みという長期休暇明けで学校へ行くことが怖くなり、3年生の時はクラス替えもあって環境になじめずに1日だけ休むつもりがそのまま怖くなりました。

コミュニケーション能力が低かった

私はクラスで人気者には程遠く性格は暗い物静かな生徒だったと思います。(きっと先生はそう思っていたはずです…。)

人と話すことが苦手で、自分が言いたいことがあっても周囲の目を気にして言わずに黙っていることが多かったです。

コミュニケーション能力はゼロでした。

当時は自分にコミュニケーション能力が無くて友達と馴染めないことを仕方ないと考えていましたが、今となってはクラスの友達と仲良くなって楽しむべきでした。

まあでも、それは大人になった今だから過去を冷静に振り返って言えることであり、実際に不登校で悩んでいた当時はそこまで考えることはできませんでした。

学校へ行くのが怖いという目の前の現実に精一杯でしたから。

人と接するのが怖かった

私自身のコミュニケーション能力が低かったことも問題ですが、そもそも人と接することに恐怖を感じていたことが根本の原因でした。

当時の担任だった先生は、そんな私の性格を知ってるからなのか私が友達と関われるよう色々と配慮を手配をしてくれました。

仲良くしている友達と二人きりだと普通に会話ができるのですが、人数が増えたり普段は話したことのない友達が近くにいると私は黙ってしまいました。

不登校を克服するために、集団生活の基本でもある人との関わりを担任の先生は意識してくれていました。

それなのに私は期待に応えられず…。結局不登校の生徒になってしまいました。

教師という職業で、担任するクラスに私という不登校の生徒がいたこと、大人になった今では凄く申し訳ないと感じています。

 

親に迷惑かけていることが辛い

私が不登校だったことで親にも迷惑をかけていました。

小学1年生の夏休みが終わった9月1日に私は学校へ行きたくないと泣きましたが、それを見た親は「学校へ行きなさい」と私に言いました。

学校へ行くことの恐怖だけでなく、親からも見捨てられたような気分だった私は学校へ行くふりをして登校途中にある橋の下へ隠れていました。

けど、数分後には見つかってしまい、その後は学校へ行ったような記憶があります。

親は子供が不登校だと心配する

「学校へ行きたくない」と泣く子に「学校へ行きなさい」というのも親としては凄く辛いはずです。

当時の私は学校へ行きたくないと言っているのに学校へ行かせようとする親へ、自分の気持ちを理解してもらえないという悲しみがありましたが、本当は親だって泣く子を前にして「学校へ行きなさい」と言うのも辛かったと思います。

子供が不登校になったら親は心配します。だから子供は親に心配かけたくないから頑張って学校へ行こうとしますが、私はどうしても学校へ行くことの恐怖に勝てませんでした。

でも、自分が不登校だから親が心配していることに申し訳ないと思う気持ちは常にありました。

親からすれば普通に学校へ行ってほしい

親の立場からすれば小学校や中学校は義務教育なので、子供には普通に学校へ行ってほしいと思っています。

「不登校だと勉強が遅れるんじゃないか?」とか「学校へ行っても友達ができないんじゃないか?」など我が子を思い不安だらけのはずです。

不登校である子供自身も学校へ行く恐怖に悩んでいるはずですが、同じくらい親も子供の将来を考えあれこれ悩んでいます。

私が不登校だったのは1990年代の話なので、当時は学校へ普通に行けるようになることが最善の解決策だと考えていましたが、今は昔と比べて学校へ行かなくても勉強が可能になりました。

だから、必ずしも学校へ普通に行けるようになることが最善の解決策ではなく、学校へ行かずに学ぶという選択肢もありです。

不登校で親子の仲が悪くなる?

子供が不登校になったら親はどう接すればいいのでしょうか?

極端なこと言えば、学校へ行かない子供に呆れて勘当する人がいても不思議ではありません。

私の場合は、呆れられて強い口調の時もありましたが、なんだかんだ良い意味で見守ってくれていました。

不登校で親子の絆が強くなる可能性もあれば、親子の絆が切れてしまう可能性だってあります。

子供だって好きで不登校になったわけではないので、不登校がキッカケで親子の仲が悪くなるのは残念なことです。

大人である親が理解して救いの手を差し伸べてあげて頂きたいです。

 

担任の先生は大きな存在

私が不登校だった時期は2回あったと書きましたが、小学1年生の時は40代くらいの女性の先生が担任で、小学3年生の時は30代くらいの女性の先生が担任でした。

今思えば、お二人の先生には凄く迷惑をかけてしまったと申し訳なく思っています。

二人の先生には凄く感謝しています。(もう昔のことだから覚えていないかも…?)

不登校の子供が復帰できるかどうか最終的には本人の意志と勇気ですが、不登校を克服までの手助けという意味では担任の先生の存在は凄く大きいです。

 

真剣に向き合ってくれた担任の先生

担任の先生は不登校だった私を常に気にしてくれていました。

言い方悪いですが、クラスの約40人近い生徒の中で私が最も厄介な存在の一人だったのに時間をかけて向き合って頂けました。

今から10年以上も前のことなので、現代の教師からしたら考えられないことかもしれませんが、私が子供の時はそういう先生もいました。

生徒は当然ですが親も担任の先生に頼りますので、真剣に向き合ってくれる先生には感謝の気持ちしかありません。

自分は厄介な生徒だったのか?

不登校だった時は毎日担任の先生に申し訳ないという気持ちでした。

私は小学3年生の時に妹が産まれました。

その翌日にに担任の先生が、授業時間なのに特別教室にいた私に「病院に妹を見に行こう」と言ってくれました。

私は先生の車に乗って病院へ行き、産まれたばかりの妹を担任の先生と一緒に見ました。

帰りの車で「先生も気分転換になったし、良かったよ。」と先生は言っていましたが、本当は私のためにわざわざ時間を用意して頂いたと思います。

父親と一緒に病院へ妹を見に行った時と、担任の先生と一緒に妹を見に行った時では、兄として自分が不登校であることの悔しさが違いました。

担任の先生へ感謝

繰り返しますが担任の先生には感謝の気持ちしかありません。

不登校になったけど最後にはクラスに復帰して友達全員と同じように先生のクラスを卒業できて嬉しかったです。

今の時代も不登校に悩む生徒は後を絶えないですが、担任として不登校の生徒を救えるのは凄いことです。

復帰できた生徒は担任の先生に感謝しかないでしょうね。「担任が生徒を救い、生徒が担任へ感謝する」これは昔も今も変わらないことです。

席と教室の黒板

クラスの友達にも感謝

感謝という意味では、両親、担任の先生の他に、クラスの友達にも凄く感謝しています。

不登校である私に対して普通に接してくれて、普通に会話をしてくれて、何気ないことかもしれませんが私には嬉しかった出来事です。

私が不登校から学校へ行けるようになったのはクラスの友達が凄くいい人ばかりで助けてもらったからです。

友達と食べた給食

不登校の時期に担任の先生が「給食は先生と他の男子二人を含めた4人で食べましょう。男子二人は出席番号毎に日替わりで呼ぶから。」と言っていました。

正直最初は嫌でした。

給食を食べながら何を話していいか分からないし、自分は教室に行ってないからクラスの話題とかよく分からないし…。

でも、なぜか先生の提案を受け入れ給食の時間は日替わりで友達と食べるようになりました。

嫌だと思いながらも、教室へ復帰できるキッカケになるかもしれないという希望だと無意識に思ったのかもしれません。

友達は不登校の私をどう思っていたのかな

不登校を2度の時期に経験しましたが、どちらも最終的にはクラスに復帰することができて、みんなと一緒に三学期の終業式に参加して学年を上がることができました。

不登校から復帰した後、友達に不登校だった自分をどう思っているか聞いたことはありません。

気になりますけど、何て言われるか分からなくて聞くことが怖かったです。

まあ考え方は人それぞれなので、きっと不登校の私をよく思わなかった人もいたかもしれません。

それは仕方ないですし、その友達が悪いとも思いません。むしろ、給食を一緒に食べてくれたり迷惑をかけたので申し訳ないです。

あの時は、ありがとう。

もし今、当時の友達と私の不登校について話すことがあれば、「あの時は、ありがとう。」と言いたいですね。

いざ会ったら照れて言えないと思いますけど…。

私は友達に助けられ、教室に戻ることができて、みんなと同じように学校生活を過ごすことができました。

みんなありがとう。

不登校から教室へ戻れた瞬間

私が不登校から教室へ戻れるようになった理由について。

1年生の時はどうやって教室へ戻れたか覚えていませんが、3年生の時は戻れた理由をハッキリと覚えています。

周りの人たちの支えがあったて自分の心に響くような出来事がありました。

「よし、全員揃ったな!」の一言

秋に運動会がありました。

私の通っていた学校では、学年別にクラス対抗戦で三つの競技を行うことになっていましたが、私は不登校なので競技の練習にも参加していませんでした。

本番が近づいたある日に先生が、「全部は参加しなくていいから、競技1つだけ参加しないかな?」と質問してきました。

参加する気はありませんでしたが、妹が生まれた直後であり兄として頑張らないといけないと思ったのか「参加する」と返事をしていました。

運動会当日、競技直前で待機しているクラスの列に加わりました。近くにいた友達は私に気づいてくれて「ヨッ!」と声を
かけて暖かく受け入れてくれました。

そして競技時間になりました。

誰が言ったかは覚えていませんが、「よし、全員揃ったな」と掛け声のように言ってくれる友達がいました。

本人がどう思って言ってくれたのか分かりませんが、その一言が自分には凄く嬉しい言葉で鮮明に覚えています。

競技は4クラス中何位だったか覚えていませんが、私は自分の能力以上に速く走れたことは覚えています。

周りの目が怖い

子供の時はとにかく周りの目を気にしながら学校生活を過ごしていました。

時期によってイジメもありましたので、イジメの標的になりたくないといつでも周りの目を気にしてしまいます。

不登校の生徒が教室に戻った時は周囲から凄く注目されているような感覚です。

先生が何事もなかったように迎えようと言って、みんなが納得してくれている場合でも不登校だったの子はの立場になれば凄く不安です。

そういう意味では、少しずつでもクラスの友達と顔を会わせようとしてくれた先生の対応には感謝です。

教室に戻れて良かった

私は小学1年生の時と3年生の時に不登校になりましたが、どちらの年も3学期くらいには教室へ戻ることができました。

当たり前ですけど、教室へ戻れて良かったです。

現代は昔と比べて時代も違うので</span class=”redb”>必ずしも教室へ戻ることが正解ではありませんが、本人に戻りたい意思があるなら教室へ戻れることが理想です。
 

不登校を克服するためには早めの対策が必要

不登校にならならいことが最も良いのですが、不登校になってしまった場合は仕方ありません。

次は学校へ行けるよう不登校を克服するために動き出します。

※学校へ行かないことが必ずしも悪いとは限りません。特に現代は学校へ行かなくても学べる方法はあります。
 

「明日は行く」に期待しない

子供が学校へ行きたくない時に「明日は行く」と言ったら親は注意して下さい。

その時は本当に今日は休んで明日は行くつもりなのかもしれませんが、いざ明日が近づいてきて夕方から夜くらいになると、明日も行きたくないという気持ちが強くなります。

しかも、今日休んだことが明日行きづらくさせている原因の1つでもあります。

休めば休むほど次の日に学校へ行きにくくなる気持ちは強くなってきます。

大切なのは早めの対策

休む日が続くほど学校へ行くのが辛くなってきます。

実際私も最初は1日だけ休むつもりでしたが、翌日になるとやっぱり学校へ行くのが嫌でその日も結局休んでいました。

そんな状態が1日、2日、1週間、気づくと後戻りできない場所にいました。

今では早めの対策が必要だったと後悔してます。

数ヶ月後に結局勇気を出して教室に戻るのであれば、まだ休んだ期間が短い時に勇気を出して学校へ行けば良かったです。

これも今だから言えることであり、当時の自分は絶対にこんな考え方はできませんでした。

子供の力で不登校を解決するのは難しい

不登校だった私が普通に教室へ行けるようになったのは、家族とクラスの仲間が助けてくれたからでした。

最終的には自分が勇気を出して学校へ行ったからなのかもしれませんが、その背景には色々な人の支えがあってのことです。

やっぱり子供に自力で不登校を克服できるだけの力はありません。親の支えは絶対に必要で担任の先生や友達など多くの人の協力が必要です。

「可愛い子には旅をさせよ」というのも分かるのですが、学校へ行く恐怖心に一人で勝てというのは厳しいです。

不登校に悩む我が子へ手を差し伸べることで悩んでいる方へ、それは甘やかしではありません不登校で悩む子にとっては希望の光です。

親子で手をつなぐ

不登校になる子は悪いのか?

多くの子が普通に学校生活を過ごして成長して子供から大人になるので、不登校になって悩むこの方が全体の少数派です。

だから不登校になることの方が不通と少し違うと思われるかもしれません。

それに不登校で悩む子供達も、自分が不登校であるということに劣等感を感じている場合が多いです。

不登校になる子が悪いとは思いません

私は不登校を経験した立場なので「不登校になることは悪いことではないよ」というアドバイスで不登校で悩む子側の味方です。

人間というのは少数派より多数派の味方をします。

不登校で悩む人は全体の少数派なので、普通に学校へ通っている子と比べて不登校の子は普通じゃないという目で見られます。

最近は少数派であることに喜びを感じる子も多いようですが、多くの子は人と違うことに悩みを感じます。

だけど、不登校になったから悪い子だというのは違います。

多くの人が経験できないことを経験している

不登校で悩んでいる時は凄く辛いですけど、時間が経って不登校が昔話になった時に、多くの人が経験できないことを経験したという喜びに気づきます。

私は今となっては不登校を経験したことは自分の人生にとって良かった出来事の1つだと思えるようになりました。

凄く悩んだし、凄く迷惑をかけたし、凄く辛かったけど、不登校を経験したからこそ分かる価値観というのがあります。

不登校の経験を活かせる人間になれ

間違えることは悪いことではありません。人間誰だって間違いはあります。

でも、同じ間違えをするということは悪いことです。成長できていません。

私の場合は小学1年生で不登校を経験して1度は不登校を克服したのに、小学3年生でまた不登校を繰り返します。

でも、不登校を2回経験したからこそ、この経験を活かせる人間にならなくてはと強く思うようになりました。

今不登校で悩む人へ、確かに辛いと思うけど無駄な経験だと思わず、この経験を活かすくらいの人間になればいいんです。

不登校へ悩む人へメッセージ

ここまで私が体験して感じたことを書いてきました。不登校で悩む人へ少しでも参考になれば嬉しいです。

最後に不登校へ悩む人へメッセージを書かせて頂きます。

不登校に悩む子供へ

不登校で悩んでいるあなたへ、私も子供の時に同じように不登校で悩みました。

周りの助けと時間の経過で気付けば不登校を克服して普通に学校へ行けるようになっていました。

不登校を経験した立場として、今不登校で悩む人の気持ちは他の人より分かっているつもりだから言います。

自分を信じなさい。自分が正しいと思う道に自分の足で進みなさい。「不登校で悩む」という経験をしただけ周りの同級生より少し大人ですから。自信を持って!

子供の不登校に悩む親へ

私は子供の時に不登校を経験しましたが、自分の経験から分かることは不登校で悩む子供目線でしかありません。

子供を育てている親目線で不登校に悩むことに関しては経験も無いので偉そうに書く資格はないかもしれません。

でも、自分が子供の時に不登校を克服するまでに親に助けてもらったことこの身で体験しました。

数年しか生きたことのない子供の知識と経験で解決できるわけがないですから力になってあげて下さい。

「不登校なんかに負けるな」

最後に「不登校なんかに負けるな」という言葉で終わりにします。

子供の時は毎日不登校であることを悩んで体感にすると数年は悩んだ感じです。でも歳を重ねて不登校が昔のことのようになるにつれて何でそんなに悩んでいたのか少しずつ忘れていきます。

その後の人生の思い出で塗り替えられてる感じ。

悩んだ末に自らの人生を絶つとか不登校なんかに負けるなよ!



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