「結果が全て」という考え方は正しいのか?
「結果が全てですか?」
この質問ですが、人によって考え方は違いますし、状況によっても様々なことから、明確な正解はすごく難しいです。
だからこそ「結果が全てなのか?」には多くの人が悩まされていると思います。
子供の時であれば勉強の場面で、大人になると仕事の場面で、人生のあらゆる場面で人は「結果が全て」この言葉と闘わなければなりません。
正直なことを言うなら、この議論に対する答えを明確にすることは無理です。
でも、悩まされ続けるのは嫌じゃないですか?
「結果がすべて」と主張する人がいれば、「それは違う」と主張する人もいる。
自分の中でも考えは持っていますが、状況次第ではどっちにでもなると思うから、悩まされ続けることから解放するために考えて整理してみます。
評価される場面では「結果がすべて」
常に結果を意識して日頃から行動すること、そういう意気込みがあるなら悪いことではないので、その姿勢で良いと思います。
そうではなくて、結果を追及して悩んでいるなら、「結果がすべて」これは全ての場面に該当することではないと強く胸に刻んでください。
「結果がすべて」これが成立する場面と成立しない場面があります。
○人に評価される場面 → 結果がすべては成立する
×自分で完結する場面 → 結果がすべては成立しない
ズバリ違いは
分かりやすいところで例えると、
2.「ダイエット」これは個人の頑張りによる痩せたかどうかなので、結果がすべては成立しません。
このように「結果がすべて」は状況次第だということが考えの根底に持っておいた方が良いです。
自分は「結果がすべて」だと思って生きています
「結果がすべて」は状況次第だと書いておきながらですが、自分は結果がすべてだと思って生きるように意識しています。
頑張った過程も大切なことは間違いないですが、結果を出せば評価されるという経験もこれまでありました。
自分の場合は承認欲求が強いと自覚しているので、結果を出すことは自分にとってはプラスですし、やっぱり評価されるのは嬉しいですからね。
「結果がすべて」だと思い込んでしまい苦しむのは絶対に違いますが、自分に都合よく使えるなら「結果がすべて」を前提に生きるのは良いことだと思います。
どうして「結果がすべて」だと言われるの?
「結果がすべて」と主張する人がいれば、「結果がすべてではない」と主張する人もいます。
その比率は集計してみないとハッキリ分からないですが、感覚的にはどちらか極端に偏ることはないと思います。
しかし、評価をする側の立場で考えるなら、過程で評価するよりも結果で評価する方が圧倒的に楽で分かりやすいです。
比較することで優劣を下さないといけない場面では、過程を基準にする比較するより、結果を基準に比較した方が明確に判断を下せます。
以前、評価を下すことが仕事だという人に話を聞いたのですが、すごく勉強になりました。
【その人が言っていたこと】
私は評価をする時に「過程」より「結果」で判断します。
その理由として、結果を出す人というのは過程でも努力をしている可能性が高く、だからこそ結果が出ていることもあるからです。
ものすごい強運により、努力することなく結果を出せる場面もあるかもしれませんが、それはごく稀でしょう(笑)
なるほど!
頑張ったけど結果が出なかった人というのは、結果が出た人と比べて頑張りが足りなかったという考え方も確かにできます。
過程では本当に頑張ったのに運が悪く結果が出なかった人を評価できないという危険も確かにありますが、言い分としては一理あると思います。
どう思うかは各々ですが、今の世の中で「結果がすべて」だと主張する人は概ね正しい方向になりそうです。
ちなみに、ここまで「結果がすべて」側での主張が多い自分ですが、好き嫌いで言うなら「結果がすべて」という考え方は個人的に嫌いです。
結果が残せなかったとしても、頑張った過程くらいは評価しあげる世の中であってほしいと思うからです。
「結果がすべて」を早く気付けることが重要
ここまで書いて分かって頂けているかと思いますが、「結果がすべて」これに対して明確な明確な正解はありません。
人それぞれです。
しかし、どちらか決めないといけないのなら、私は「結果がすべて」を意識して生きた方が良いと考えています。
例えば、受験であれば合否は点数で決まるのであって、どれだけ勉強したかで決まるわけではありませんよね。
必ずしも全て結果で評価されるわけではなくて、過程をしっかり見てくれて頑張りを評価してもらえることもあります。
しかし、とは言え結果を出していれば文句なしで評価されるわけです。
結果を出すための生き方を早い段階で気付くことができれば他の人より一歩前に行けるます。
頑張ったけど結果が出ない時に考えること
頑張ったけど結果が出なかった時に、「結果が全てだから」と言われたらキツイですね。
キツイけど、その時に自分がどう思うかでその後は大きく変わります。
考え方は2つあります。
1.結果は出なかったけど頑張ったことが評価されないと落ち込む
2.結果が出なかったの頑張りが足りなかったからだと前向きになる
このどちらかです。
当然ですが1番より2番の考え方を出来た方がその後の自分は成長することができます!
その結果に自分は満足なのか?
まず、結果が全て悩むということは結果を残せなかったわけですが、本当に結果を残せるくらい頑張りましたか?ってことです。
頑張ったつもりでは結果が残せず、結果が全てだと言われても仕方ないですよね。
でも、結果が残せると思えるくらい一生懸命頑張ったのに結果を残せなかった時に言われる「結果が全て」は辛いですよね。
結果が全てなのかどうかを決めるのは自分です。
人になんて言われようと、結果が全てなのかどうかを決めるのは自分です。
自分が結果を残せるくらい一生懸命頑張ったと思えるなら、それは「結果が全てだ」と言われても、「いやそんなことはない!自分は頑張った!」と結果が全てだという言葉を気にしないことです。
逆に結果が残せるくらい頑張っていないのなら、「結果が全てだ」という言葉は正しいので、受け止め考え直してみる必要はあります。
結果が残せず次は頑張った体験談
ここで私の体験談を1つ書きます。
私は高校生の時に、ある国家試験を受験しました。
1回目の受験が高校3年生の春でしたが、結果は不合格でした。
不合格という結果は残念でしたが、テスト後に自己採点しても合格している感触はなく、結果を残せるくらい頑張ったかというと違ったので、結果には納得していました。
2回目の受験は高校3年生の秋でしたが、結果は合格でした。
不合格だった1回目の受験から2回目の受験までの約半年間は凄く勉強しました。だから自信もありましたし結果的に合格でしました。
この国家試験を受験することで「結果が全てだ」と言われることはありませんでしたが、1回目と2回目の受験では明らかに頑張りが違いました。
1回目の受験は不合格でしたが、「結果が全てだ」と言われていたらその通りでした。逆に2回目の受験は結果合格しましたが、もし不合格で「結果が全てだ」と言われたら凹んだでしょうね。
でも、2回目の1回目の受験と比べて間違いなく頑張りました。だから結果が全てだと言われても、頑張った過程を自分は評価すればいいのです。
頑張っているから結果を残せる
前にも書きましたが、結果を残せる人は頑張ったから結果を残せるのです。
「結果が全てだから、頑張っても結果が出ないと意味ないわ・・・」と落ち込む時もあるでしょう。
しかし、結果を残している人は頑張っているから結果が残せるのです。
頑張ったけど結果を残せなかった時は悔しいです。
悔しいですけど結果を残したいなら、やっぱり頑張るしかないですよね。
結果が全てか?決めるのは自分だ!
「結果が全てだ」と言う人はいます。自分だって何かに対して結果が全てだと言うことあります。
しかし、結果が全てかどうかを決めるのは周りの人ではなく自分です。
残念な気持ちの時ほど、結果だけではなく頑張った過程を評価してほしいと思うのは人として当然の心情です。
だから、「結果が全てだ」という言葉は厳しい言葉だと言われます。
「結果が全てだ、努力が足りん。」
「結果が全てだ、次は大丈夫だ。」
同じ結果が全てだでも意味は違います。
自分はどれほど頑張った故の結果なのか?人に言われることではなく、自分が自分に問いかけることです。
こんな記事も書いていたので、良ければ参考にしてください。