「許せる人」と「許せない人」の違いは器の大きさです。
私は「怒らない人間」です。争いが嫌いな性格なので怒ることで争いが起こるならば怒らなくても良いと考えます。多くの人が争いを嫌い怒ることを減らせば世の中はもっと良くなるとも考えています。
この考えが正しいのか今でも確かめている最中ですが、今の若者は怒る人が減ったように思うこともあります。皆が争いを減らそうと頑張っているのかな?それなら嬉しい。
人が「怒る」というのはどういう時か?それは「許せない」と判断した時です。つまり私は許せないと判断する基準が人と少し違うということですね。
「許せる」と「許せない」の判断は人によって様々であり正解はありませんが、私は「許せる」と判断できる範囲が広い人の方が器の大きい人だと思っています。
逆にあらゆる場面で怒っているような「許せない」と判断する人を見ていると、正直言って「この人は器が小さいな?」と思いながら見ています。
どうしようもないことを怒ったり、相手の背景を考えず怒ったり、怒れば良いってことじゃないんですよ…。無駄な怒りを生み出すなよ。
おっと…。口が悪くなりそうになっていますね…。深呼吸して気持ち整えれるかな…?
「お前は何様だ?」と言いたいのですか?どうぞ何とでも言って下さい。けど意味の無い怒りは絶対に間違っていますよ。あなたは気づいていないだけです。
そしてあなたは器が小さいです。許すという考えができないから器が小さいんです。本当に怒ることもありますよ、でも怒る前に相手がなぜ起こられることになったのか考えたのですか?
考えてないなら考えて下さい。考えたのならもっと考えて下さい。誰も怒られたくて取り組んでいる人なんていませんよ。なのにあなたは怒るという判断をしたんですよね。
「そうか。器が小さいからだ!」
何を書いているんでしょうか…。でもブログは書きたいことを書く場所ですからね。ちょっと過激に書きすぎた部分は反省です。
「怒る」という行為についてもっと考えないといけませんね。「人はなぜ怒るのか」という本では、怒りの原因は期待通りになっていない時と書かれていました。じゃあどうすれば怒りは減るのか?答えは「期待しない」だと思っています。
なら人はなぜ期待するのでしょう?人が自分のために頑張ってくれると思っているからではないでしょうか。自分のことは自分で解決する、人には期待しない。これが怒ることを減らす第一歩です。
私は今後も許せる器の大きい人間になります。この先必要とされる人はどんな人か?「怒る」を前面に教育する人より、「共感」を前面に教育する人だと思っています。