アウトプットに使える時間は?優秀な人はアウトプットが上手です。
いつの日からでしょう…。人生とは「インプット」と「アウトプット」の繰り返しだと思うようになりました。
日々の生活に例えると、目で見た景色、耳で聞いた音、頭で考えたことがインプットです。何か作業をしたり、何か作ったりすることがアウトプットです。
数年前から、インプットをするだけの生き方が嫌になりました。何かインプットしたら形はどうであれアウトプットしたいと思うようになりました。インプットだけを続けてアウトプットをしない生き方では生きている意味があるのか?と考えてしまいます。
生きていると多くの時間はインプットです。アウトプットは自然と行っていることもありますが、自らの意思で取り組まないといけません。だからめんどくさいです。
アウトプットにどれだけ時間を使えるか?ということを考えます。
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「学校の授業」を例とします。
学生時代の授業を思い出すとアウトプットが大切だと考えさせられます。
授業中の生徒は次のような流れで授業を受けます。
1.先生が説明をする。
2.先生の説明を聞く。
3.先生が黒板に説明を書く。
4.黒板の内容をノートに書く
5.先生が問題を出す。
6.問題に答える。
この中でインプットは2(先生の説明を聞く)で、アウトプットは4(ノートを書く)、6(問題に答える)です。
1から6を順番通りにできれば良いのですが、実際の授業は黒板に書かれた内容をノートに書き写すことで必死ではありませんか?
私は国語と英語の授業では黒板に書いてある内容をノートに書き写すことで必死でした。
アウトプット作業である黒板の内容をノートに書き写すには2つの問題点があります。
- ノートを書くことに必死で先生の説明をしっかり聞けていない
- 黒板は先生がまとめた内容であり自分がまとめた内容ではない
書き写すことに必死で説明を聞けていない
前にも書いた通り、私は国語と英語が苦手でしたが数学は得意でした。
その理由を考えてみましたが、数学は国語と英語に比べると先生が黒板に書く内容が少ないからです。
国語と英語は黒板に書く量がとても多いため、黒板の内容をノートに書き写すことに必死で先生の説明を100%理解しながら聞くことができていません。
それに比べて数学は黒板に書く内容が少ないことでノートを書く時間も減り、その分しっかりと説明を聞く時間が増えます。
数学はインプット(聞く)もアウトプット(書く)も質の高い学習ができます。
黒板は自分がまとめた内容ではない
黒板に書かれた内容は先生がまとめた内容です。自分が説明を聞いてまとめた内容ではありません。
自分のアウトプットの成果物としては質が低いと思います。
私は数学の授業でノートを書く時に部分的に黒板の内容を自分なりにまとめてメモしていました。(これが可能なのも数学は黒板に書かれる内容が少ないからだと思いますが…。)
国語と英語は黒板に書かれる内容が多いので自分なりにまとめる余裕がありません。それに先生でも、これほど書かないとまとめれない内容を私が改めてまとめることは困難で時間が必要です。
全教科に言えることですが、生徒は黒板の内容をノートに書き写しただけで満足しています。(私もそうでした…。)
でも、インプットした内容を自分の形でアウトプットしてこそ勉強だと思います。
もし先生の説明後に「でわ、自分なりにノートをまとめてみましょう。」という時間があればどうでしょうか?
生徒の技術に差はあっても疑問点も明確になり、繰り返すことでまとめる技術も上がると思います。
アウトプットこそ理解の証明であり学びだと思っています。
アウトプット作業に使える時間
皆さんは一日にとれほどの時間をアウトプット作業に使っていますか?
仕事内容、家庭環境によって異なりますが、1分1秒でも多くアウトプット作業に時間を使うことが理想です。
これは私が社会人になってから感じたことですが、仕事のできる人や優秀と言われる人はアウトプット作業に力を入れて成果物を生み出します。
例えば、仕事が終わった後に1日の作業をまとめた資料を作っている人もいました。形となる成果物があれば見返ることで反省点が明確になったり、人と共有することで新しい発展になるかもしれません。
私もアウトプット作業にできるだけ多くの時間を使いたいのですが、まだまだ未熟です。
あなたも自由に使える時間が少ないかもしれませんがアウトプット作業の時間を確保してみて下さい。