表現した心のモヤモヤは誰かが共感してくれることで成仏される
先日、自分の中で年末恒例行事となった憧れの人に会いに行く1日を過ごしました。
数年前から毎年12月に私が憧れているある方のコンサートへ行っています。
さて本日はもう少ししたら会場へ向かうのですが、毎年年末に憧れの人に会いに行く日です。っとは言ってもコンサートのような感じですが、それでも歌を聞きながら自分の一年を振り返り来年も頑張ろうと気持ちを整理する時間です。憧れの人がいると道標になる。でも、最後は誰でもない自分になってやる!
— ショウ (@tanesho42) 2015, 12月 15
これですね。
ご存じの人も多いと思いますが、憧れの人とはゴールデンボンバーのボーカル「鬼龍院翔」さんです。
尊敬してるのでこんな記事も書いています。
コンサートで歌を聞いて感動しましたが、MC中に鬼龍院翔さんが言ったある言葉が自分に深く突き刺さったので書きます。
人はなぜ表現するのか?
鬼龍院翔さんが作詞作曲を始めたキッカケはハッキリと覚えていないが、作詞作曲は心のモヤモヤを詞や音楽で表現することだと言っていました。
何で表現するかは人それぞれです。
ある人は絵を描いて表現することもあれば、またある人はダンスで表現する。
私もブログを書くことで表現をしている立場なので、鬼龍院翔さんの言った言葉の重みを感じました。
私はブログを書くことは情報発信という表現だと思っていましたが、実は心のモヤモヤを表現していたのかもしれません。
自分の表現に誰かが共感した時
人は心のモヤモヤを表現する。
でも、なんのために表現するの・・・?
それは、自分が表現した心のモヤモヤに誰かが共感してくれることを望んでいるからではないでしょうか?
鬼龍院翔さんは誰かが共感してくれた時に表現した心のモヤモヤが少しは成仏されるのではないかと言っていました。
うん、その通りだと思う。
なんて言えばいいのかな・・・。
しんみり語ります
ブログ記事の内容にも色々ありますけど、自分の考え方とか価値観を書いている記事は心のモヤモヤを表現しているのかもしれません。(まあ、違う時もあるだろうけど)
だからツイッターとかで共感を頂ければ嬉しいですし、同じ考えの人がいるということは嬉しく感じます。
私は結構そういう考え方とか価値観の記事を書くことが多いので、尊敬しているからではなく鬼龍院さんが言った言葉が凄く自分のことのように感じました。
これからも書こう。
自分の考え方とか価値観とか・・・。そして心のモヤモヤを読者に成仏して頂きます。
銀テープもちゃっかりキャッチ
コンサート最後に飛んだ銀テープはちゃっかりキャッチしています。皆さんの手に渡るように1枚しか取っていませんからね。
「広がる世界」を聴くと毎年泣いてしまう。