リア充と言われるより、リア充だと思えることの方が大切。
今では当たり前のよう使われている「リア充」と言う言葉について考えてみました。
※「リア充」⇒リアル(現実)が充実している人のことを略した言葉
ところで、あなたはリア充ですか?
人から「リア充」と言われる
人によっては友達や知人から「リア充だね~」っと言われた経験がある人もいると思います。私も多くはありませんが人にリア充だと言われたことが過去にあります。
でも、何を基準にリア充なのかリア充ではないのか決まるんでしょうか?
基準がよく分からないから私は人に対してリア充という表現は控えるようにしています。言ったとしてもお酒の席で誰の記憶にも残らないくだりの部分で使うくらいです。
たとえば、一流企業に勤めていて、家庭があり、マイホームも持っている人はリア充ですか?確かに一見するとリア充にも見えますが、だからって「リア充ですねー。」って言ったら相手はどう思うでしょうか?
リア中と言われる人の気持ち
私は「リア充」と言われると複雑な気持ちになります。
相手は悪気があるわけではなくリア充という言葉は良い表現なのですが、「別にリアルが充実しているとは思わないし、あなたの知らない闇が沢山あるのに…」って思いますね。(捻くれてますねー)
あなたの知らない闇が沢山・・・。なんて言ったら大袈裟かもしれませんが、人のことを知るって言うのは凄く難しいことですから、リア充に見える人も深く関わってみると深刻な闇に悩んでいる可能性だってあります。
だから、リア充と言われる人の気持ちが必ずしも嬉しいだとは限りません。リア中と言われる人の気持ちは言われた本人しか分からないのです。
リア充と言われるより、リア充だと思えることが大切。
ここまで書いた考え方を元に言えることは、「リア充と言われるより、リア充だと思えることが大切。」だということです。
もう25年間くらい生きていますけど、小学生ぐらいの時から今まで不安が一切無いと感じられる時期はありませんでした。心配性なだけかもしれませんが、自分の気持ちとしてはいつも不安との葛藤だったので、自分のことをリア充だと感じることのできる過去がありません。
だからこそ、私はリア充と言われるより、リア充だと思えるようになりたいと毎日考えています。
リア充だと思えることができたら無敵
これは自論ですが、人は気持ちの状態で発揮できるパフォーマンスが大きく異なります。だから自分のことをリア充だと思えることができたら、パフォーマンは最大限発揮できるので無敵です。
つまり、リア充と言われることを目指すのではなくリア充だと思えること目指すべきです。
リア充だと思えるようになるためには何をすればいいのか・・・?それは自分が楽しいと思えることや、自分が信じている道に進むことです。