自分の人生に希望がある理由について
私は今の環境に不満や不安を感じていますが、これまでの記事などでも自分の人生には希望があると書いてきました。
これは別に強がっているとか、自分へ無理やり言い聞かせているとかではありません。
自分でも不思議なくらいで、今という現実が凄く不安なのに、どうして将来にはそんな希望が持てるのか…
今回はいい機会なので自分の気持ちを整理してみました。同じような感覚の人がいるなら参考になるかもしれません。
将来をどう想像しているのか
私の目標は組織に属さなくても自分(個人)で仕事を頂き、稼いで生計を立てることです。
まあ簡単に言えばフリーランスのような働き方をすることが私の目標です。
じゃあフリーランスのような働き方ができるようになれば幸せなのか?それはそうなってみないと分かりません。
ただ、今の自分の環境では働き方を縛られないようになることは人生の突破口だと考えています。(信じています。)
将来を考えるの遅すぎ問題
今20代半ばですが、5年後や10年後の自分がどうなっていたいか結構真剣に考えることができます。
でも、20代になったばかりの時は5年後(つまり今)を真剣に考えることはできませんでした。
もしかしたら、考えていたのかもしれませんが漠然とした想像でしかなかったと思います。
そして今思うことは「5年前も自分の将来をしっかりと考えるべきだった…」という後悔です。
だから今は反省も込めて将来の自分についてよく考えるようにしています。
将来を考えるの遅すぎ問題には気を付けましょう。
今という時代は可能性がある
今の環境には不満もあり不安ですが、今という時代には可能性があるとワクワクしています。
そう思う理由は、現代だから可能な方法で少しだけ稼ぎがあるからです。それで生計を立てるには程遠いですが個人で稼ぐ力を少しは持っています。
また会社を辞めて個人で働いている人を何人か知っているからです。自分が同じその方達と肩を並べられるかは分かりませんが不可能ではありません。
私の奥さんも最近興味を持てることを見つけて収入を得られているようです。
内容を聞くと今だから出来ることであって、数年前に同じことするのは難しいらしいので今の時代で良かったとのことです。
可能性があると思うことには飛び付く
私はeスポーツの分野がこれからの日本では流行るのではないかと予想しています。(もう、すでに流行り始めていますけどね。)
参考:シャドウバースがeスポーツとなり賞金総額700万、今後のeスポーツ発展に期待
この予想か当たるかどうかは分かりませんが、eスポーツが普及した環境で過ごせることに期待を寄せています。
可能性があると思っているから私はeスポーツの分野に飛び付こうと考えて、eスポーツ関連の株を買ったり、「シャドウバース」というゲームを自らプレーしています。
将来の可能性があると思うことには飛び付きます。そして周囲から遅れをとらないように対策するよう意識しています。
希望は現実にしないと意味がない
将来に希望を持つことは良いことですが、希望を現実に変えて不安を払拭しないと意味がありません。
頭では分かっているのですが希望を現実に変えるのは結構難しいことです。
何かを変えるということは何かを捨てるということです。捨てることによって空いたスペースに新しいことが入ってきて以前より良くなります。
捨てたいけど捨てられないこと
日々生きていると、捨てたいと思うんだけど捨てられないことに気づきます。
例えば私は、今の仕事を捨てて最低限の生活でも良いから会社に縛られない自由な生き方をしたいですが、家族いるのでそんなこと許されるわけではありません。
だから、フリーランスとして生計が立てられるようになることが目標なんですけどね…。
このように本当は捨てたいんだけど捨てられないことって誰にもあると思うんですよね。
捨てたからって良くなるとは限りませんが、捨てないと何も変わらない。だから捨てることができるか?
私はなるべく捨てる生き方をしようと心掛けています!
ってことで終わり。