仕事が雑な人や遅い人は無意識に区別されるようになる
「仕事が雑な人」や「仕事が遅い人」は怒られなくても、無意識の間に周囲の人から低評価をされているかもしれない。っと最近感じたので、仕事で評価されることについて書こうと思います。
理想は「早く丁寧に」
仕事の理想は「早く丁寧に」だと私は考えています。っというのも早くても雑ではダメですし、丁寧でも遅くてはダメです。だから早くて丁寧が理想です。
現実は早く仕事をすることを意識したり、丁寧に仕事をすることを意識したり、状況に応じて使い分けている人が多数です。どんな時でも早く丁寧に仕事をするという人はこれまで数えるほどしか出会いませんでした。
でも多くの人は早く丁寧じゃないの?
社会で働く多くの人がお客様から文句を言われないように仕事をしていますが、文句を言われないから丁寧に仕事をしたとは限りません。
1つの仕事が終わり、お客様または上司から指摘が無かったからと言って丁寧な仕事をしたわけではなく、自分の中でどこまで丁寧に仕事するか区切りを付けた場所に納得してもらえた。それだけです。
仕事を丁寧にしようと考えればチェックを何回も重ねたり、改善する点は他にないかと考えたり、時間がいくらあっても足りません。どこかで区切りを付ける必要があります。
「早く丁寧に」を具体的に言うなら、短時間で「ここまでやったの?」と言わせるような働き方です。
任せる側と任せられる側の認識違い
仕事では必ず「任せる・任せられる」が発生します。
その時に任せる側であれば仕事を任す相手の評価があり、任せられる側であれば仕事を任せてくれる相手からの評価があります。
つまり仕事を任せる・任せられるが発生するということは、相手の仕事に対する評価が無意識に発生してしまいます。だから仕事が遅かったり、雑だったりすれば知らない間に自分に悪い評価が付いているかもしれません。
仕事を任せる側は時間をかけてもいいから丁寧に仕上げてほしいと思っていても、仕事を任せられる側が違う認識であれば、二人の間に良い物は生産されません。
任せる側と任せられる側の認識が同じであることが大切なのです。
登場人物が多くなるほど認識がズレる
仕事を任せる人と任せられる人の登場人物が二人なら分かりやすいですが、厄介なのは登場人物が3人、4人と増えることです。
AさんがBさんに仕事を依頼、BさんがCさんに仕事を依頼。この時Aさんは任せる人で、Bさんは任せられる人であり任せる人でもある、Cさんは任せられる人です。
このように登場人物が増えれば認識のズレが生じたり、思いが伝わらないことだってあります。
言われたことをやったから終わりではなく、この仕事をする本質は何なのかを各自が意識していないと良い物は生産されないと思っています。
そのために登場人物を減らすとか、複雑なことはやめてシンプルにする。とか工夫も必要になります。