負け組だって幸せになる方法はあるけど、勝ち組になって幸せを掴みたい。

公開日: 

どうも、@tanesho42です。

勝ち組と言う称号に私はとても憧れています。「勝ち組になりたい…」私の切実な思いです。そもそも勝ち組と負け組に分けることが間違った考えです。みんな勝ち組になるそれが理想ではないでしょうか?

※私の考える勝ち組に明確な定義ではないという認識で下記読み進めて下さい。

けど、現実は勝ち組と負け組に分かれる。それも明確に。

勝ち組と負け組の話以前に私は頑張ればみんな幸せが実現できると思っていました。っというよりそれを実現することを最終目標に生きていました。みんな幸せを実現できると信じてね…。

しかし、ある日思いました。「誰かの幸せは誰かの不幸で成り立っている」こう思った瞬間にみんな幸せなんて夢のまた夢だと痛感しました。

勝ち誇るサラリーマン

勝ち組を掴み取れよ

私と同じ年齢または私より若い人へ、「勝ち組を掴み取らないと本当の幸せにはなれない。」と言いたい。

勝ち組にこだわる理由は、勝ち組にならないと自由が少ないと感じるからです。経営者と労働者のどちらが勝ち組だと思いますか?

価値観は人それぞれなので賛否両論で構いませんが、私は経営者の方が勝ち組だと思っています。

労働者は経営者から解雇を命じられたら収入が無くなります。(実際はそうならないように法律や組合員があります。)極端な考え方ですが労働者の命綱を経営者が握っているのです。

使われる側(労働者)から使う側(経営者)になって勝ち組にならないと見えない景色もあります。だから私はその景色を掴むためにも勝ち組にこだわり生きています。

勝ち組になれなくても幸せもあるけど…

父親が前に言っていました。

「貧乏でも幸せな家庭はたくさんある。だから世間一般的に「負け組」と言われる人でも幸せな人はたくさんいるんだ。それに勝ち組が必ずしも幸せだとも思わない。勝ち組と負け組の定義がよく分からないし、家族が元気ならそれが自分の幸せだ。」

確かに、父親の言う通り負け組でも幸せな家庭は多いですし、幸せを感じる方法はいくらでもあると思います。けど24歳の自分はそういう幸せに満足できるほど器の大きい人間ではありません。

やはり勝ち組になって幸せを掴みたい。という気持ちが強いです。

自分の性格が時に嫌になる

幸せを感じるために勝ち組も負け組も関係ないと思います。人と比べることに意味は無いし、勝ち組にならなくても幸せを感じる方法はある。全部わかっています。分かっていますが生きていれば人と比べてしまうし、その度に自分が惨めに思う時があります。

だから勝ち組について今回書きました。

勝ち組について書いていると、勝ち組と負け組に分けることが自分の嫌な所です。勝ち組と負け組に分ける必要はないし、みんな幸せを目指せばいいじゃないか。

でも1年後?もっと先?この記事を読み返してボロクソ言えるくらいの人間になるために今はこういう内容を書いておきます。絶対将来の自分が今の自分をボロクソ言うからな。覚えて入れよ自分、そして頑張れ自分。



ご愛読ありがとうございます!

よければシェアとツイッターのフォローもよろしくお願い致します!

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • このエントリーをはてなブックマークに追加