100人が集まった中でたった1人の存在になりたい
もし、ここに100人の人が集まったとしましょう。そしたら100人の中で1人は英語で会話が出来るかもしれない。このように100人が集まった時にたった1人しかできない存在の人間になりたい。
自分は人と違うことに憧れる
子供の時はあらゆる場面で人と違うということが嫌でした。
例えば、小学校で使う裁縫セットのデザインを選ぶ時です。男の子用は二種類あって、1つが「ドラゴン」というテーマで竜てした。もう1つが「ミズノ」でランバードのマークでした。
正直ドラゴンってダサいと自分は思っていたのですが、周りの人にはドラゴンが人気で結局私も周りに合わせるようにドラゴンを選びました。
昔から周りと違って目立つくらいなら周りと合わせて目立たない方が良いと考える性格でした。
それがいつからでしょうか、周りと同じは嫌だ、個性が無いと感じるから周りと違う方がカッコいいと思うようになりました。
変人は必要とされる
これは個人的な思いかもしれませんが、カリスマ的と言われる人は周りと比べると違い個性が強く、悪く言えば変人です。
でも、周りと違うから個性が強く、その人に需要が生まれ必要とされる存在になりカリスマ的と言われます。
これからの将来は変人と言われるくらいのカリスマ性がある方が可能性が広がるのではないかと考えています。
最初に書いたように100人の人がいればその中で自分にしかできない存在になれば必ず自分に価値が出てくると思います。
こんな時代だからこそ自分について考える
今は何が人気になっても不思議ではない時代です。
これはあくまで偏見ですが私はお笑いが好きですけど、お笑いで本当に面白いのは「漫才」と「ドッキリ企画」だと思っています。(あくまで個人的意見ですよ。)しかし、今の時代人気なのは「あったかいんだからぁ~」とか「ラッスンゴレライ」など真似できるネタの方が人気になるんでしょうね。
今はブームの流れが早く、先日見たテレビ番組で高校生の間では「あったかいんだからぁ~」や「ラッスンゴレライ」はもう古いと言っていました。え?マジですか…?って感じです。
でも、そういう時代だからこそ人気になるチャンスは誰でもあるような気がします。そしてこれからの時代は自分をしっかり持った人が活躍するだろうと私は思っています。
自分が将来どうなりたいのか理想像を思い描いて、理想に近づくための方法を考えて実践していくことが大切ではないのでしょうか?