「怒られたことがない=甘い」という言い分は正しいのか?
世の中に「怒られたことがない人」は極めて少ないと思いますが、「怒られたことが少ない人」は結構な数いるような気がします。
特に昔と比べて今はパワハラや暴力に関しては厳しい世の中なので、年齢が低い人ほど怒られたことが少ない人の割合は多い傾向にあるのではないでしょうか。
そういう時代背景も確かにあるとは思いますが、個人的には怒られないように生きている人が現代は増えているのではないかとも思います。
たとえば自分の人生を振り返ってみれば、私は怒られないように生きてきたと思い当たる節が多々あります。
個々の性格によって生き方は異なりますが、怒られない生き方を選んだ結果として、怒られたことが少ないという人は多い思います。
怒られたことが少ない人は、回数として少ないだけなのに「怒られたことがない」に分類されて、怒られたことがないから甘いと見られるかもしれません。
しかし、、、この見られ方はどうでしょうか?
個人的には残念だと感じます。。。
理由として、「怒られない生き方」を選んで試行錯誤しながら世の中を生き抜いてきたのに、その努力というか意識のせいで”甘い”と評価されるのは残念です。
そもそも、怒られない生き方が正しいかどうかを考える余地は確かにありますが、それを考えると話がズレるので今回は割愛します。
「怒られたことがない=甘い」という人の言い分は何でしょうか?考えてみましたけ。
怒られた数が多いほど人は苦しい場面も経験しているから精神的にも強い。だから甘くないという考え方の可能性はありそうですね。
苦しい場面を多く経験することで精神的に強くなるのは分かりますで、この言い分について全否定はしません。
ただ、100%共感できるわけでもありません。
怒られたことがない=甘いと決めつけるのではなくて、可能性が高いとか傾向にあるという言い方なら納得できます。
・苦しい場面を多く経験した人は精神的に強い可能性がある。
・怒られたことがない人は自分に甘い可能性がある。
みたいな感じです。。。
この件に関して個人的な見解はここまで書いた通りです。
「怒られたことがない=甘い」について言った側と言われた側それぞれ両者で思うことがあるはずです。
読者のあなたがどちら側なのか気にるところですが、どちらだとしても過去の生き方から今を注意するのはセンス悪いと思うのです。
【言った側】
過去の生き方から今を注意しても、今さら過去は変えられないため、現状甘いという事実からこれから先どうするかを指摘してあげるべきです。
【言われた側】
過去の生き方から今を注意されて嫌な思いなのは分かります。ただ指摘される通り今の自分が甘いのなら、これから先どうするかをしっかり考えることは必要です。
それぞれこんな感じですかね!
そういえば、過去にこんな記事も書いていたみたいです。