誰かに憧れてばかりの自分に嫌気がするなら殻を破って誰とも違う自分になろう
どうも、@tanesho42です。
25歳になった今だから書けるんですけど、私は学生時代の時にイケていない存在でした。それはもうクラスに必要のない存在でした。
だから、自分に自信なんて無かったし、常に誰かに憧れていましたよ。「明るい存在になれたらなぁ」とか「勉強が凄い出来たらなぁ」など理想への憧れだけはありましたね。
今でも誰かに憧れてばかりですけど、昔より自分の個性が分かり好きだと思えるようになりました。でもこういう気持ちになれたのも23歳とかですね。遅すぎますよ、できればもっと早く自分の個性に気づき好きになりたかった。
誰かに憧れてばかりの自分に嫌気がしていたけど、自分の個性に気づいて好きになれた経験を書きます。参考になれば嬉しいです。
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地味だけど個性のあるやつ
クラスに地味だけど個性があって我が道を生きているって感じの人いませんでしたか?
例えばバンドをやっているやつは人気もあって音楽という我が道を生きる人気者の王道ですよ。それに比べ、休憩時間も絵を書いているような地味だけど我が道を生きる隠れた天才もいます。
この隠れた天才こそ地味だけど個性のあるやつです。
人気者の王道は私からすればキムタクみたいな存在なので、あくまで憧れで絶対に自分が同じようになることは無理だけどなれたらいいなって感じです。けど地味だけど個性のある隠れた天才は違います。
どうして同じ地味なのに自分は隠れた天才じゃないんだよ。と疑問を感じましたよ…。
勝手に比較して負けたと思っているだけだった
ある日、地味だけど個性のある隠れた天才に聞いてみたことがあります。
「自分をどう思っている?誰かと比べて劣等感を感じることない?」
すると少し考えて簡潔に答えてくれました。
「劣等感を感じることはある。でも自分の好きなことでは絶対に負けないし、負けないくらい努力をしようと思っている。」
劣等感を感じている点は同じでした。でも自分と違ったことは、自分が何を好きか分かっている。そして好きなことでは負けないくらい努力している。ことでした。
周りに合わせるなら自分を貫く方がカッコいい
これまで生きてきて色々な人に会ってきましたが、自分の道を進んでいると思える人は数人でした。多くの人は今を生きることに精一杯で将来のための今を生きている人は少なかったですね。
私は集団の中で自分の立ち位置とか周りからどう思われているかをとても気にしました。イジメられたくなかったからです。
でもそういう考えは社会に出てみると間違っていたと知りました。意味無いことに神経使っていたことを後悔します。けど当時の自分はクラスが自分の世界なので無視はできませんでしたけどね。
今25歳の大人になってみると世界は広いと実感します。
世界は広いからこそクラスメイトと仲良しごっこして周りに合わせるくらいなら浮いた存在でも良いから自分の道を進んで自分を貫く方が何倍もカッコいいと今では思えます。
今いる組織が全てじゃないよ
会社員になって働いてみて学生の時にクラスという組織で無駄な神経を使っていたと思えるようになりましたが、結局今も会社という組織で無駄な神経使っているんですよね。
仲間からどう思われるかとか、上司からどう思われるかとか、お客様からどう思われるかとか…。この会社を辞めた時にこれらも無駄な神経使ったなと思えるはずです。
今いる組織が全てではありません。だからクラスで浮いた存在でも学校を卒業すれば、また別の世界ですし今の自分が嫌なら変えることだって不可能ではありません。むしろ大人になってからの方が変えることが難しくなります。
「今いる組織が全てはない」と言っても今を生きる限り無視はできないし意識してしまうのは仕方ありません。だから私の考えは頭の片隅で良いです。あなたの考えを刺激する何かになればそれだけで嬉しいですよ。
自分らしく生きる方が絶対に幸せ
人生はずっと幸せを続けることは無理です。
絶対に幸せだと思う時があれば不幸だと思う時があります。だから自分らしく生きて浮いた存在になったとしても将来評価されて幸せな思いをすることだってあるはずです。
誰かに憧れてばかりの自分に嫌気がするなら殻を破って誰とも違う自分になろうぜってことですよ。その方が幸せですよ。