主人公は自分だと思うくらい主観的に人生を考えるべきだと思った
最近、自分の生き方は正しいのか?とか、自分はこのままではいいのか?とか悩むことが多いです。
そんな思いからこんなツイートまで…。
多くの人が何気なく生きているだろうけど。
私は最近、生きることが凄く難しいと感じています。
あれこれ考えなければいいのだろうけど、考えてしまう。
子供の時は目の前のことだけ見て生きていられたけど、大人になると凄く難しくなる。
— ショウ (@tanesho42) 2016年7月4日
考え込む自分の性格なんて自分がよく分かっていますからね。いつものことなんですけど。
けど、生き方って難しくないですか?悩みませんか?
そこら辺の一人だけど輝きたいよ
自分に特別な才能や力があるわけでもないので、この世に生きるそこら辺の一人くらいの価値しかないと自覚しています。
人を動かす力があるわけでもないし、知名度があるわけでもない。
今日、明日を生きるために必死な人間の一人です。
でも…、欲を言えば輝きたい。
こんな自分の人生でも
自分が無力だと分かってはいますが、自分の人生にも希望があると思いたいです。
私は何故か、こんな自分の人生でも、将来には希望があると思えるタイプです。
何か希望となる根拠があるわけではありません。冷静になって考えれば自分の人生なんて普通(もしくは普通以下)で終わるでしょう。
でも、こういう時代だからでしょうか、よく分からない希望があるので将来は楽しみです。
現実を見ると焦り
将来は何か分からない希望がありますが、現実を見ると凄く焦ります。
今この時間にも人は頑張っているかもしれない。自分が生きるためにやりたくないことをしている間に、人はやりたいことをして将来のために進んでいるかもしれない。
なんてことを考えてしまい焦ります。
私は人と自分を比べることで焦りを感じて苦しくなります。
ある映画で学んだ人生の視点
先日、『桐島、部活やめるってよ』という映画を見ました。
見た感想として、私の好きな映画ではありませんでしたが、視聴者が何を感じるかが、この映画の伝えたいことだったので、メッセージ性のある映画としては素晴らしかったです。
この映画を見て私が感じたのは、主人公は自分だと思うくらい主観的に人生を考えるべきだということです。
理想の自分を想像した時に私は空から見下ろした視点で自分を想像します。でも、そうじゃなくて自分の視界から何が見えるか想像するべきだと考えるようになりました。
支え合うバランスは崩れない
人間は自分を犠牲にしてでも人を助ける時があります。優しい人は特に…。
でも、自分が幸せになれないのに自分を犠牲にして人を助けることには限界があります。
もし、誰もが自分中心に考え行動をすると、人と人が支え合うことは無くなりバランスが崩れてしまいます。
けど、色々な意味で優しい人が必ずいるので、支え合うバランスはかなり先の将来まで崩れないのでは?と私は考えています。
駅で下りの階段しかなくて、ベビーカーをどうしようか悩んでいる人へ、好青年が「手伝いましょうか」と言っていた。
無意識に出た言葉なんだろうな、サラッと困っている人を助ける姿はカッコいいね。
心が和む光景でした。— ショウ (@tanesho42) 2016年7月6日
ほらね。