嫌われない人でいるのは疲れる、ありのままで自分を偽らない。

公開日: 

ツイッターでこんなツイートをしました。

ツイートに対してリプでツイートしているので見づらくてすみません。

 

 

 

言いたかったことは、誰からも嫌われない人間になるのは難しいということ。

さらに言えば誰からも嫌われない人間になろうとする必要はなくて、素の自分を好んでくれる人から嫌われないようにすればいいということ。

 

嫌われない人になることは無理だと感じた

嫌われない人は無理

僕は子供の時からイジメられないように心掛けて生きてきたので誰からも嫌わない人間でいることを意識していました。

それって簡単なことではないと感じてはいましたが、クラスの人気者とかって多くの人から好かれているから自分もそういう人間になれればと考えていました。

そんな感じで人生を生きてきて、社会人となり働き始めて気付きましたが、誰からも嫌われない人間になるということは無理です。

やろうと思えば大多数の人から好かれるよう努力することは出来るのですが、それも自分の力の無さも含めて無理だと感じました。

 

嫌われない人でいることも疲れる

疲れて疲労する

頑張って努力して嫌われない人間でいたとしても、それは自分も偽って相手に合わせていることになるから疲れます。

最近の僕が体験したことで、「あ~以前より嫌われているかも」って思った時に少し好感度を上げるじゃないですけど愛想良くするという判断もできます。

でも、普通に接しているのに少し嫌われているかもと思って好感度を上げるために愛想良くするって素の自分を偽ってまで頑張っている感じで結構しんどい。

そういうこともあって、嫌われない人間でいようとするのは疲れるので素の自分でいようというのが最近思うことです。

嫌われない性格の人もいるが自分は違う

自分は違う

僕の場合は嫌われないようにしようと思ったら考えて愛想よくしないといけないのですが、何も考えず自然と接していているだけなのに人から嫌われない人もいます。

こういう人はもともと嫌われない性格です。

嫌われないようにするためにはどうしようとか、愛想よくして人から好かれるようにとか、そういうことを考えず素の自分でいれば人から嫌われないという1つの才能を持った人です。

僕もこういう性格だったら良かったんですけどね…、残念ながら違います。

それならどうするか考えたら自分を偽ってまで嫌われないようにするくらいなら素の自分でいて好んでくれる人から嫌われないようにするという結論に至りました。

 

子供の時は嫌われない人でいることも大切

友達と仲良くする

この記事で書きたかったことは、自分を偽ってまで人から嫌われないよう頑張るのは無理ということですが、それは今の自分の立場だからです。

これが子供の時で学生だったら考え方は違います。

学校のクラスって40人くらいの少数で作られた小さな組織の中で生活をすることになるので、その中で人から嫌われてしまうと毎日の生活が苦しくなります。

イジメの対象になんて選ばれたら絶望ですからね・・・。

僕は大人で社会人として働いているので会社という組織の中で生活をしているとはいえ、学校のクラスで生活している子供の立場よりは嫌われたとしてもどうにかすることができます。

子供の時はクラスという小さな組織で生活すること、イジメの対象になるかもしれないということ、これらを考えると矛盾しているかもしれませんが子供の時は誰からも嫌われない人でいるということも大切です。



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